設立の経緯
昭和30年代以降の日本の高度経済成長は、国民の生活を豊かにし、その繁栄の一つの姿としてモータリゼーションの時代を実現しましたが、一方で交通事故死者数の増加という大きな負の遺産をもたらしてしまいました。
その大きな負の遺産の一つが、保護者を亡くした交通遺児や後遺症によって働けなくなったり、著しく収入が減った被害者の子弟、いわば準交通遺児が多数生まれたことでありました。
この交通遺児たちを経済的に助けて、精神的に励ましたいと訴えた岡嶋信治氏の投書をきっかけとして、1967年(昭和42年)5月、勤労青年、学生、主婦などからなる「交通事故遺児を励ます会」が誕生いたしました。(岡嶋氏は、1961年(昭和36年)、新潟県長岡市の酔っ払いひき逃げ事故で姉とその生後10か月の長男を失っております)
「交通事故遺児を励ます会」は、街頭募金やチャリティーショー、チャリティーバザーなどで交通遺児の窮状を訴えるかたわら、遺児家庭を訪問して実態を調査いたしました。一様に生活苦にさいなまれている遺児家庭の母親が「子供を高校にだけは進学させたい」と訴えていることを知り、その救済策の一つとして育英事業の実現を目標に活動を続けました。
この活動に政府も動かされ、同様の全国調査に乗り出しました。
1968年(昭和43年)11月の政府発表の調査結果は、交通事故遺児を励ます会の運動目標である育英事業の必要性を裏付けるものとなりました。この結果を受け国会で再三の議論がなされました。
同年12月の衆議院交通安全対策特別委員会では、「政府はすみやかに交通遺児の修学資金貸与などを行う財団法人の設立およびその法人の健全な事業活動を促進するため、必要な助成措置等について配慮すべき」旨の決議がなされ、その後の閣議で、この政府の方針は了承されました。
1969年(昭和44年)3月31日「財団法人交通遺児育英会」の設立総会が、東京・丸ノ内の東京会館で開催され、9月から全国の交通遺児高校生約3千人に、月5千円ずつの奨学金を貸与することを決めました。
この設立総会の決議に基づき、4月15日、東京都を通じ財団設立関係書類を提出いたしました。
5月2日総交第58号、委大第4の3号にて内閣総理大臣および文部大臣より財団設立を許可されまして、正式に「財団法人交通遺児育英会」が発足いたしました。
5月9日上記主務官庁の設立許可にともない東京・経団連会館で創立総会を開催する運びとなり、これに先立ち理事会を開きまして、顧問および評議員の選任を行い第1号議案「顧問および評議員の選出について」および第2号議案「日本自転車振興会および財団法人日本船舶振興会に対する補助金交付申請について」の両議案を決議いたしました。ただちに創立総会(理事会および評議員会)を開催し、第1号議案「昭和44年度事業計画及び収支予算について」、第2号議案「奨学金貸与規程その他の規定の制定について」を全会一致で可決いたしました。
5月20日、財団法人交通遺児育英会の登記が完了いたしました。税制上は寄付の税制優遇の対象となる「特定公益増進法人」であります。5月24日には総交第60号、委大第9の6号で奨学金貸与規程が承認されまして、奨学生採用の事業に着手いたしました。
事務所は、東京都千代田区永田町1丁目11番28号に置かれ、会長・永野重雄、理事長・石井栄三、専務理事・玉井義臣、事務局長・森敬の体制でスタートいたしました。事務局の陣容は、徐々に整備されましたが、発足当初は専務理事以下8人でありました。
この経過のごとく、財政基盤を固めることより設立が先行したがゆえに、設立発起人(設立当初の役員)の人選とともに、並行して基金を集めねばならない苦しいスタートとなってしまいました。
初代会長に当時の富士製鐵社長の永野重雄氏が起用されましたのには、人物はもちろんのことながら、基金形成の面で財界はもとより、政界、官界の広い人脈に期待する面がございました。
設立時の役員は会長、理事長、専務理事各1名、常任理事8名、理事12名、監事3名、顧問17名でありました。設立から現在までの各役員の就任時期と期間は下表のとおりです。
各役員の就任時期及び期間
※氏名の後に(官)とあるのは官僚OB
設立当初、玉井専務理事をはじめとする常勤者のトップが財団経営未経験でありましたので、非常勤役員の理事長には、初代、2代目と官僚OBの石井栄三氏、宮崎清文氏がついでおり、事務局を指導しておりました。
設立から現在に至るまで、この初代および2代目理事長以外役員ポストに官僚OBの就任はございません。
事務局員についても同様でありまして、設立以来主務官庁OBが数名在籍し、その指導を受けておりましたが、プロパー職員の成長によりまして平成10年代初期に内閣府局長と交通遺児育英会穴吹専務理事で官僚OBの受け入れは止めることで合意し、平成15年度末に最後の官僚OBが定年退職して以降、官僚OBはゼロであります。
発足後順調な経営が続きましたが、昭和57年頃から、玉井専務理事の主導で災害遺児育英募金や病気遺児育英運動が展開されました。しかしながら、この運動は交通遺児育英会寄付行為(定款)に沿わない事業でありましたので、玉井専務理事は平成5年4月、災害・病気遺児育英のための任意団体あしなが育英会を設立し、その副会長につきました。平成6年3月の交通遺児育英会第50回理事会で専務理事を辞しております。その理事会では、当面、当時の常勤理事事務局長を専務理事事務取扱といたしまして、専務理事業務を代行させることとしました。
このような経緯がありまして、約2年の専務理事不在期間の後、平成8年5月の第1回臨時理事会で新たな専務理事として穴吹俊士氏が選任されました。
以後、理事会の活発な議論を背景といたしまして、5年単位の長期事業計画をベースに立案された単年度の事業計画に従いまして、真摯に交通遺児の修学支援策の充実を図ってまいりました。
年々の事業推進のベースとなりました長期事業計画は以下のとおり4~5年ごとにローリングを繰り返しつつ、現在に至っております。
事業再構築計画:1999年~2002年(平成11年~平成14年)
- つどいの改革と再開
- 業務の機械化・システム化の推進
第1次長期事業計画:2003年~2006年(平成15年~平成18年)
- 指導事業の強化(高校奨学生海外語学研修の開始)
- 募金・貸与・返還システムの改善
第2次長期事業計画:2007年~2011年(平成19年~平成23年)
- 公益財団法人への移行
- 旧運輸省からの自動車事故対策費補助金の早期返納
- 財産管理等内部牽制機能の強化
第3次長期事業計画:2012年~2015年(平成24年~平成27年)
- 返還滞納者対策推進
- 知名度向上対策推進(2015年ACジャパン支援団体に選定された)
- 心塾再建検討開始
- 給付型修学支援事業開始
第4次長期事業計画:2016年~2020年(平成28年~令和2年)
- 給付型修学支援事業拡大
- 奨学金貸与・返還システムの統合による効率と管理レベルの向上
- 心塾東京寮の再建と再建までの効率的運営検討(プロジェクトチーム発足)
第5次長期事業計画:2021年~2025年(令和3年~令和7年)
- さらなる修学支援事業の充実
- 奨学生指導・育成の強化
- 心塾東京寮の建て替え推進⇒新寮開設
- 危機対応体制の構築
- コロナ禍でのつどいに代わる交流の場の在り方検討と実施
2011年(平成23年)公益財団法人へ移行の経緯
1999年に事業再構築計画をスタートしてまもなく、2000年(平成12年)から2008年(平成20年)にかけて、内閣官房(行政改革推進事務局)において公益法人制度の抜本的改革の検討が進められ、2006年(平成18年)3月公益法人制度改革関連三法案が閣議決定され、同年5月第164通常国会において法案が成立し、2008年12月1日に同法が施行されました。
当会はこれに沿って、公益財団法人への移行認定申請を行い、2011年(平成23年)4月1日公益財団法人として認定を受けました。
修学支援事業強化の経緯
第3次長期事業計画の終盤、平成27年下期から給付型の修学支援として家賃補助を始めましたが、以降自動車運転免許取得費用補助等を追加するなど、この給付型修学支援を充実させる一方で、生活保護者および住民税非課税者の返還免除等によって返還者の負荷軽減を進めてまいりました。
令和2年上期からは長年最大の目標として実現を目指してきた奨学金本体についての一部給付(大学生以上に月2万円)を開始しました。加えて令和5年度からは高校生にも奨学金の一部給付(月1万円)を開始いたしました。現在推進中の第5次長期事業計画では、さらなる給付型修学支援の充実や返還負荷軽減策の追求を重要課題としており、令和6年4月からは「英語検定試験費用補助」や浪人生への「進学支援金(貸与)」を実施しております。加えまして返済負担軽減等や昨今注目をさてれいるヤングケアラーの方に対する支援も含め、具体的な検討に取り組んでいるところです。
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